相談する

Column

そのAI、何に使っていますか

「AIが世界を変える」。この言葉、もう何回聞いただろう。私はとっくに数えるのをやめた。いまやどの職場でも、AIを使うこと自体は珍しくない。「うちも導入しました」は、あいさつ代わりになりつつある。ところが、「で、何に使ってるんですか?」と聞くと、急に会話が途切れる。今回はその、途切れたあとの話をしたい。

ここで言う「AI」

「AI」という言葉は、とにかく守備範囲が広い。研究分野全般も、機械学習のモデルも、大規模言語モデル(LLM)も、ぜんぶAIだ。炊飯器にもAIが載っている。ただ、いま職場で「AIを使っています」と言うとき、その中身はほぼ「LLMを載せたアプリ」だろう。そしてLLMとは、ひとことで言えば「膨大な知識を持ち、言葉の意味を扱える機械」である。

以下では、いまAIがどう使われているかを出発点に、その限界と、本来の使い道を順番に考えていく。

AIは、面倒を隠すのがうまい

AIがこれほど歓迎される理由は、ふたつあると思う。安く見えること。そして、面倒な業務改善をきれいに覆い隠してくれることだ。

本気で業務を改善しようとすると、業務フローの洗い出し、部署間の調整、要件定義、ベンダーへの発注と、面倒ごとのフルコースが始まる。お値段は数百万円から。一方、AIツールなら月額数千円で、そのフルコースを全部すっ飛ばしたまま「AIを活用しています」と胸を張れる。根本の問題はそのままに、表面だけを整えて「やった感」を出す。私はこれをAIによる化粧と呼んでいる。すっぴんは何も変わっていない。

しかも、この安さはほぼ錯覚だ。LLMはそれらしく間違えるので、結局だれかが確認しなければならない。現場でつくったプロンプトは、つくった本人にしか分からないブラックボックスに育っていく。どこかで見た光景だと思ったら、あれだ。かつての「野良Excelマクロ」。コストは消えたのではなく、未来の誰かに先送りされただけである。

ちなみに、この化粧は組織も個人もやっている。組織は「導入した」という事実が欲しいので、件数や利用率を数えて、中身は問わない。個人は面倒を避けたいので、業務を見直すより、手元の作業をAIに置き換えて「効率化しました」と言うほうが楽で角も立たない。お互いに都合がいい。だから化粧で済ませる関係が、今日も平和に成り立っている。

片付けるだけでは、ゼロのまま

では、目の前の面倒をAIで片付けるのは悪いことなのか。私はそうは思わない。年に数回しかやらない作業のためにシステムを組むのは割に合わないし、時間とお金をかけた大規模なシステム刷新が何度も爆発してきた歴史を思えば、小さく試してダメならやめる、はとても合理的だ。

ただし、それはマイナスを減らしはするが、プラスは生まない。10時間の作業が2時間になっても、その作業が生む価値は1ミリも増えていない。浮いた8時間の使い道を誰も決めなければ、別の雑務にじわじわ溶けて、いつの間にか消える。

さらに、なぜその作業が必要なのかを誰も問わなくなり、AIを外したら業務が止まるようになったら、それはもう持病だ。化粧でも、割り切った対症療法でも、やっていることは同じである。違いは、それがその場しのぎだと自覚しているかどうか。それだけだ。

言葉がわかる機械に、書き写しをさせている

LLMは「言葉の意味を扱える機械」だ。それなのに、実際の使われ方の多くは、転記や定型文づくりである。それなら従来のプログラムのほうが確実で安い。一流の通訳を雇って、コピー取りをさせているようなものだ。通訳も困惑している。

たとえば、受注処理に時間がかかっている部署があるとする。担当者それぞれに、自分のやり方をAIに説明してもらい、手順を文章にまとめさせる。すると、三人が三人ともまったく違うやり方をしていることが判明する。しかも、ある確認作業は、とっくに辞めた前任者の習慣が残っていただけだったりする。前任者はもういないのに、儀式だけが残っている。

過去の記録から本当に必要な手順を拾い、ベンダーに伝わる言葉に置き換える。そうして初めて、現場の「いつもこうしてる」が要件になる。

暗黙知を言葉にする。大量の記録から構造を見つける。現場とシステムの言葉を翻訳する。これこそ、組織も個人もずっと避けてきた業務改善のど真ん中であり、LLMがいちばん輝く場面だ。ここで初めて、組織が自分自身を理解するというプラスが生まれる。

選択肢に入っていなかったことが、選択肢に入った

LLMの可能性は、いまある仕事を理解し直すだけにとどまらない。これまで時間やお金や人手が足りなくて、最初から諦めていたことができるようになった。想定顧客の反応をシミュレーションする。企画案を一晩で二十案つくる。競合の資料を読み込んで、誰もいない空白地帯を探す。以前なら数百万円と数か月かかった検討が、担当者ひとりで、なんなら今日の午後にできる。選択肢に入っていなかったことが、選択肢に入ったのである。

私は、ここが一番大事だと思っている。いまの仕事のやり方の多くは、制約の上に建っている。調査は高いから年に一度。試作は手間だから、会議を重ねてから。その制約が外れたなら、制約のために生まれたやり方は捨てていい。調査は小さく何度でもやればいいし、会議の前につくってしまえばいい。見極めるべきは、そのやり方が価値のためにあるのか、制約のためにあるのかだ。

ただし、簡単にできることが価値を生むとは限らない。趣味なら、できること自体が楽しい。けれどビジネスは、誰かがお金を払い、誰かの困りごとが減らなければ意味がない。簡単にできることは、競合も簡単にできる。そして、AIが演じる顧客は財布を持っていない。どれだけ絶賛されても、売上はゼロだ。

つくるコストが下がったぶん、選ぶコストはむしろ上がっている。LLMが下げたのは「やってみる」コストであって、「価値を生む」コストではない。誰のために、何を、なぜやるのか。この問いだけは、相変わらず人間が引き受けるしかない。

「とりあえずAIで」から始めていい

とはいえ、明日からいきなり業務を見直せ、新しい価値を創れ、と言うつもりはない。そんなことを言われたら私だって逃げる。目の前の作業を片付けるところから入るのは、現実的でいい。

大事なのは、それを診断の材料として使うことだ。AIに任せてうまくいかない部分こそ、業務の定義があいまいだったり、人によってやり方が違ったりする部分である。AIがつまずいた場所は、組織の痛んでいる場所を指している。AIは、わりと正直な健康診断なのだ。

そもそも、AIに仕事を頼むこと自体が、小さな要件定義だ。何をしてほしいのかを言葉にできなければ、AIはろくな仕事をしない。面倒から逃げるために手に取った道具が、実は面倒と向き合えと迫ってくる。なかなか皮肉が効いている。「とりあえずAIで」はいい。ただ、それが「ずっとAIで」になりかけたら、一度立ち止まる。それが私の考える、健全なAIとの付き合い方だ。

道具の価値は、使い方で決まる

言葉の意味を扱えるという、人類史上なかなかない能力を持った道具が、いま誰の手元にもある。それを書き写しと化粧のためだけに使うのは、あまりにももったいない。目の前を片付けるだけなら、マイナスが消えるだけだ。プラスが生まれるのは、自分たちの仕事と向き合い、そこから新しい価値を創ろうとしたときだけである。そしてそれは、組織だけの仕事でも、個人だけの仕事でもない。

そのAI、何に使っていますか。問われているのは、AIの賢さではない。私たちが自分の仕事をどれだけ理解していて、そこにどんな価値を生もうとしているか。たぶん、そこなのだと思う。