機械学習をかじった人なら、一度は考えると思うんです。過去のレースをありったけ集めてAIに学習させれば、競馬で一儲けできるんじゃないかと。週末は馬券、平日は配当の計算という人生設計です。私も考えました。データを集めて、Claudeに予想させて、アプリまで作って、最後にそのアプリを片付けました。財布の話は勘弁してください。今回は、そのあいだに考えたことを書きます。
当てるだけなら、わりと簡単です
「当たるAI」をつくるのは、実はそんなに難しくありません。人気馬を選べばいいんです。Claudeに出走表を読ませて予想させたら、本命の大半は人気上位の馬でした。人気の外に何かを見つけてきたわけではなくて、みんなと同じ馬を、みんなと同じように選んでくるだけです。
困るのは、人気馬は配当が低いことです。どれだけ当たっても、払った額より戻ってくる額が少なければ、よく当たる赤字製造機でしかありません。競馬で見るべきなのは当たった回数ではなく、戻ってきたお金のほうです。お金を増やそうと思ったら、みんなが見落としている馬を見つけるしかないのですが、ここからが大変でした。
オッズって、要は全員でつくった予測モデルなんです
競馬のオッズは、胴元が決めているわけではなくて、買った人たちのお金の配分で決まります。つまりオッズそのものが馬券を買った全員の予想を合体させた、巨大な予測モデルなんですよね。成績も血統も騎手も、当日の馬の様子も、締切間際に大金を入れる玄人の読みも、全部お金の形で溶け込んでいます。
これを正面から測ってみました。中央競馬の50万走で、オッズを出発点に、能力指数、休養、血統、調教、騎手と、思いつく材料を全部足して機械に学ばせたんです。結果、予想の改善は1%に届きませんでした。追い切りの時計や乗り替わりのように、詳しい人ほど語りたくなる材料も、ほとんど人気どおりです。語られた時点で、もう値段に入っているんでしょう。
みんなが知っている答えはオッズに溶けているので、同じ材料で学んだAIがたどり着くのは、だいたいオッズの劣化コピーです。しかも馬券は、最初から2割以上引かれています。オッズと互角では足りなくて、大差で勝ってやっとスタートラインに立てるわけです。ずいぶんな条件です。
「回収率120%」は、たいてい答えを見ています
ネットには「回収率120%を達成!」という話がたくさん転がっています。実は私の手元でも、100%を軽く超える数字が出ました。締切直前にオッズが急に下がった馬を買う、という条件です。夢がありますよね。ただ、急に下がったと言い切れるのは締切の時点で、買う時点ではまだ見えていません。少し早い時点の動きで同じことをしたら、数字はあっさり沈みました。答えを見ながら解いたテストなら、そりゃ満点も取れます。
「穴に強い騎手」も同じです。過去に穴をよく持ってきた騎手を集めて次の数年を見ると、ごく普通か、それ以下に落ちます。条件を絞っていけば、過去のどこかでたまたま勝てた形は必ず見つかるので、法則を見つけたつもりで、実は偶然を拾っているだけなんです。
効いたのは、「買わない馬」を決めるほうでした
全部足したモデルで唯一はっきり手応えが出たのは、当てる側ではありませんでした。材料が重なった人気馬を疑うことと、来そうにない穴馬を切ることです。選ぶ力はほとんど増えないのに、やめる力は増えるんです。夢のAIを作るつもりだったのに、できあがったのは慎重な番頭さんでした。
負け惜しみに聞こえそうですが、けっこう大事な話だと思っています。AIに「正解を選ばせよう」とすると世間の相場に寄っていくのに、「やめていいものを見つけさせよう」とすると、急に役に立ち始めます。仕事でも、たぶん同じじゃないでしょうか。
勝った人は、オッズと戦っていませんでした
では、計算で競馬に勝った人はいないのかというと、います。香港で賭け続けたビル・ベンターです。本人も、運用全体でおそらく10億ドル近くになると認めています(一部は仲間の取り分です)。スタートは、最初のシーズンで相棒との元手15万ドルのうち12万ドルを失うところからでした。私なら、そこでやめていると思います。
面白いのは、本人が最大の工夫に挙げているものです。オッズを一から予想するのをやめて、公開されているオッズを出発点にして、その上に自分のモデルを足したんです。市場をねじ伏せずに、市場の知恵に乗っかったわけです。
もうひとつ、彼らの周りには過去のレース映像を見直す人がいました。ぶつけられた馬や前を塞がれた馬を拾って、不運の補正として足していくと、モデルの効きが良くなったそうです。私が使ったデータに、そんなことは載っていません。だれも記録していないことを、人の手で記録に変えていたんですね。賢いモデルの横に、よそにない持ち物があったわけです。
仕事には、オッズが表示されません
ここまで競馬の話をしてきましたが、会社のAIでも同じことが起きています。誰でも手に入るデータで誰でも使えるAIを動かせば、出てくる答えはよその会社とだいたい同じです。立派な企画書の形をした、業界の常識の劣化コピーですね。
競馬のほうがまだ親切で、オッズが数字で出るので、自分がコピーだと結果で分かります。仕事にはオッズが表示されないので、みんなと同じ答えを出していることになかなか気づけません。きれいにまとまっていれば、会議も通ってしまいそうです。
差がつくとしたら、よそにないものを持っているときです。現場の記録、顧客とのやりとり、担当者だけが気づいている細かな違い。地味で面倒で、だれも整理してこなかったものですが、あの香港の映像の自社版はたぶんそこにあります。
賢さのほうは、みんな同じものを借りているので、差がつくのは何を渡せるかだと思っています。競馬予想AIは、たぶん意味がありません。ただ、なぜ意味がないのかを知ることには、けっこう意味がありました。少なくとも、財布以外の収穫はあったということにしています。
ベンターの話の出典:Bloomberg Businessweek(2018年5月)。
吉村 尚悟